Town walking 初詣 2012年1月1日 koichi コメントする 人混みの中をさけて、近所の神社へ初詣。 安楽寺境内の白井権八・小紫の 連理塚。 ネット上では、「目黒行人坂浄覚寺にあったものだが、同寺が廃寺になってこの寺が引き取った。小紫は権八を葬っ東昌寺に行き着くことが出来ず浄覚寺の前で自害したという縁だ。今は二人の名を彫ってある。目不動仁王門の前に比翼塚(3代目)があってこちらも二人の名を刻している。」とある。 しかし、これは観光ガイド的な話のようだ。 「鳥取藩士、平井権八が人を殺めて江戸へ逃げ、遊女小紫と昵懇になり、金に困っり、強盗を重ね処刑された。東昌寺に葬られた墓前で、吉原からぬけでてきた小紫が後追い心中をした。の話が脚色され、歌舞伎や浄瑠璃の白井権八のモデルになった。幡随長兵衛の「お若いのお待せえやし」と声をかけられたのが白井権八。」 だが、実際は、烟花清談』第二巻第五話。三浦や小紫貞操之事平井氏悪逆并比翼塚及八重梅之事にある話が流布していったものらしい。 参考文献 上の文献には、「吉原の京町一丁目三浦屋に小紫という遊女がいた。平井氏という男がを討ち、中国筋の国を立ち退いて江戸へ逃げ下ってくる。この平という男は美少年であり、幡随院長兵衛という男と因み弟分とな、仲間と吉原を訪れた際、小紫を見初める。二人は馴染みになる、平井が金につまり、強盗をするようになる。ある日、絹売りをり殺し、三百両盗むが終には捕えられ、鈴ヶ森で処刑されてしま。幡随院長兵衛が平井の遺骸を目黒の寺に葬ると、初七日に小紫やってきて、随川和尚に香と金子を差し出し、平井の墓の前で自する。長兵衛は二人を一つ所に葬り、比翼塚と名付ける。其頃流した八重梅という唄は平井と小紫が唄いだしたものである、とい話である。」 という訳で、江戸の歌舞伎・浄瑠璃世界であることは間違いなさそう。すくなくとも歌舞伎の白井権八の墓ということ、オリジナルの話から逸脱している。が、しかし比翼塚の案内看板にも、白井権八という名前が書いてある。ま、どうでもいいことですが。